ある映画を観て感じた「暮らし」と「消費」について
こんにちは!ななです。
最近は大学のオンライン授業も始まらないので、映画を観たり、YouTubeで探した筋トレをやったり、布団を頻繁に干す(笑)毎日を過ごしています。
今日は、この自粛期間中に観た映画を2つ紹介しながら、私たちの「暮らし」と「消費」について感じたことを話します。 “当たり前なもの・こと”って何だろうとか、生活の“豊かさ”とかいろいろ思うことがありました。
今・これからのwithコロナ時代に観る映画の候補の一つになれば嬉しいです。
1.『ミッドナイト・イン・パリ』(米2011)
"パリ滞在中のアメリカ人が、突然現代と行き来し始めることになった「ベルエポック」な時代に魅せられる話。"
パリの人々の、日常を大切にして、決して多くは求めない庶民的な暮らし。そして対照的なアメリカ人の豪遊ともいえるパリでの滞在の描き方のギャップに面白みを感じました。パリの人々が楽しむ暮らしはまさに日常を彩ること。突然雨が降ることさえ「パリでは雨の日が素敵なのよ。」とハッピーに捉えるマインドだったり、お花を買ったりヴィンテージショップで楽曲を手に入れたり。いつの時代も「~年代の暮らしが一番良かったなあ。」と考えますが、パリの人々の変わらない「暮らし」を楽しむ姿勢に、なんだか救われた気がします。
今、コロナで消費の体系が大きく変わりつつあるといわれています。
「お金を出して買うなら...」
「本当に必要なものって...」
「何回も洗って使えるのは...」(数か月前はマスクがこんなにも高級品になるなんて思いもしませんでした。)
といった姿勢が今まで以上に大切にされているような。
生産者と消費者の真のwin-winを掲げて活動するドリプロとしても、「コーヒーと暮らし」、つまりは消費者側のwinって結局は何を追求しているんだろうって思います。
2.『天使のくれた時間』(米2000)
"ウォール街での豪華な暮らしと郊外での家族に囲まれた暮らし。あの時選ばなかった人生を送り、真逆のライフスタイルを知る中で主人公が本当の“幸せ”とか“豊かさ”とかいろいろ気づいちゃう話。"
人の価値観とか幸せって本当に自由だけどそれを他人に押し付けてしまうことには大反対。「私は今の暮らしで十分なの。」といったセリフにドキッとしたりもしました。
ラオスを訪れたときも日本の暮らしや消費を知ってしまっている私からしたら、そのライフスタイルに戸惑いばかりでした。ただ、スマートフォンを持っていたりと共通する点もいくつかあったりして、ラオスにいる自分が徐々にその暮らしに馴染んでいく過程を楽しんでいたような気がします。
生活の中で何が満たされることが自分にとっての「十分」なのか、改めて考えてみたいと思わせてくれる映画でした。
以上、わたしの最近見た映画から感じたことでした。映画で何を観るか迷った際には、ぜひ!